SFにおける存在しない技術の扱いについて

 この記事は存在しない技術アドベントカレンダーの8日目の記事です。

adventar.org

SFと存在しない技術の関わり

 世間的にSFと呼ばれる作品には様々な存在しない技術が存在する。例を挙げると世界最古のSFと位置付けられることも多いメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」ではフランケンシュタインが怪物を作る技術が存在しない技術であるし*1ディストピア小説の名作1984に登場するテレスクリーンもそう、タイム・トラベルものと呼ばれるジャンルではそもそもタイムマシン及びそれに準ずる技術が現時点では存在しない。

 そこでこの記事では様々なSF小説を紹介しつつ、存在しない技術の作品内における扱いとジャンルの関係性について見ていきたいと思う。前者がメインであることは言うまでもない。

 

 まず存在しない技術や科学を物語の根本に起き、それがないと成立しないような物語が典型的なSFとして挙げられるだろう。そのようなSFはハードSFと呼ばれる。

ハードSFとは

(1)主流あるいは「本格」SF作品(ハードコアSFともいう)

(2)ストーリーやプロットの骨格として科学がベースにあるアイディアを置いている作品

引用: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89SF

 ハードSFとはSFと呼ばれるジャンルのサブジャンルであり、引用で「主流」とあることからもわかる通り「SF小説といえばこういう小難しいものだよな」というジャンルのSFである。科学技術を作品の根幹に関わる形で存在し、その理論的な説明に多くの労力を割いていることが特徴として挙げられる。こういう作品を想像しSFを敬遠している方も多いだろうが、ハードSFというサブジャンルが確立されているということは、無論そうではないSFも多数存在することを意味しているので安心してほしい。

 

星を継ぐもの [J.P.Hogan] (1977)

 星を継ぐものはシリーズ4部作の第一作でホーガンのデビュー作でもあり、私の最も好きな作品だ。近未来、月面で真紅の宇宙服を身に付けた身元不明の遺体が発見され、炭素年代測定によりそれがなんと5万年前の死体であることが判明する。チャーリーと名付けられたその遺体は、一体誰なのか?現代人類との繋がりは?謎を解き明かすため科学者達があらゆる可能性を検討し、調査を重ねていく……。ここで少しでも心を惹かれたならば、ぜひブラウザバックしてそのまま本を購入してほしい。ちなみに創元SF文庫で最も売れている本らしいですよ。

www.amazon.co.jp

作中に登場しない技術は次のようなものが挙げられる。

・トライマグニスコープ

主人公のヴィクター・ハント氏が研究開発していた、ニュートリノを用いて物質を透過し観察する装置。作中ではチャーリーの体や手記の解析で活躍する。

・惑星間宇宙船、月コロニーなど

舞台は近未来なのでそれに合わせた舞台装置として研究用の惑星間宇宙船や月のコロニーが登場する。

・チャーリーの所持品

超小型原子力電池等、現代どころか作中の世界でも一般には存在しないとされていた技術。

・ガニメアンの遺構

木製の衛星、ガニメデで発見された異星人の宇宙船。巨大な宇宙船本題や電気を食う謎の機械など、こちらもワクワクする品物が勢ぞろい。

 しかし、星を継ぐもののメインは月の遺体の謎の解明で、いわば科学ミステリーのような形で物語が進行していく。存在しない技術というよりも存在しない架空の理論の解明に向けて登場人物たちが存在する技術に基づいた考察を進めていく、まさに空想科学小説である。1つの大きなIFを入れ、そこから本当にそういったことがあったかもしれないと思わせる作者の技量が素晴らしい。生物学者が「別の惑星で進化した全く人類と関わりのない生命で、偶々人間に姿が似ているだけではないのか?」というと「平行進化にしては似すぎている。例えば人間の腸の構造は二足歩行に移行したからこそこのあまり効率的ではない構造なのであり、これは進化の偶然によるものだ。」と返ってきたりと、とにかく架空の理論に対するディテールの詰め方が物凄くリアル。どんどん新たな謎が出てきて、それまでの仮説に綻びが生まれる。その繰り返しで真実に迫っていく様子は、まさに科学そのものだ。

    存在しない技術は物語のディテールを深めるために用いられ、物語の根本にある存在しない理論、過去を解き明かしていく過程を彩っている。

 

    ところで本作の続編「ガニメデの優しい巨人」にはゾラックというスーパーコンピューターが登場する。異星人の宇宙船に備えられた対話可能なコンピューターである。かなり面白い性格をしており、例えば学習データとしたイギリスの映画の台詞をジョークとして用いたりする。私は結構好きだ。このようにSF小説にもよく存在しないIT技術*2が出てくるのだが、例えばAI技術が出てくるSFを読んでいると違和感を覚えることが多い。安直にAIに自我をもたせる描写がどうも科学的にあまり正しくないのではないかと気になってしょうがないのである。存在しないIT技術をそれらしく描くことは難しいのではないかと考えてしまうが、これは私が少し情報科学に親しく物理にあまり明るくないからそう感じるのか、それとも私の想像力が貧弱で情報技術をメインにしたSFも発想によりどうとでもなるのか?気になる。

 

    ハードSFの反対語としてソフトSFという用語もある。と言っても例の如く定まった定義はなく、曖昧な用法で使われている。私は社会的な事柄を扱うものをソフトSFと呼ぶことにしており、次に挙げるのはソフトSFと言えるだろう私のお気に入りの小説である。

 

アルジャーノンに花束を [ダニエル・キイス] (1966)

 アルジャーノンに花束をはSFファンでなくてもご存知の方は多いだろう。それってSFなの?という話をする前に、まずは物語の概要を説明しておこう。

 本作は知的障害者である主人公のチャーリイ・ゴードンによる経過報告、日記のような形式になっており、英語版ではスペルミスが多く、日本語だと漢字が使われていない。しかし人工的に知能を高める手術の動物実験がハツカネズミのアルジャーノンで成功し、主人公はその手術を世界で初めて受けることになる。知能が高くなっていくうちに文章も洗練されていき、それと同時に周囲の人々との関わりも大きく変化していく。

 本作はSF的な存在しない技術を「人工的に知能を高める手術」のみに絞り、この手術を受ける様子を通じて知能や人間の価値について問いかけるものとなっている。逆に、例え科学的な事柄を主題としているのではなくても、それを描き出す土台に科学技術があったらSFと言えると考えられる。またこの小説は人工的な知能向上という存在しない極端な技術を通じて、現代に存在する技術、例えば安楽死出生前診断など知能と本人の幸せに関わる技術の是非を問うているとも捉えられる。

   技術自体に焦点を当てるのではなく、それを通じてまた別のものを描き、ときに問いかける作品もまたSF小説に多くあり、科学一辺倒ではないところもSFというジャンルの面白さである。

 

銀河英雄伝説[田中芳樹](1982)

 銀河英雄伝説はジャンルで言えばスペースオペラである。スペースオペラというのは

主に(あるいは全体が)宇宙空間で繰り広げられる騎士道物語的な宇宙活劇のこと

スペースオペラ - Wikipedia

である。Wikipediaの記事でも述べられているように、スペースオペラでは技術的な詳細は枝葉末節であり省かれることが多い。銀英伝も例に漏れず、ワープや超光速通信、重力制御などのテクノロジーは特別な説明なしに作品内に登場する。ハードSF的な思考からするとツッコミどころが多いが、重要なのはそこではない。この作品でメインとなっているのは艦隊戦と政治だ。主人公のヤン・ウェンリーは「魔術師ヤン」と呼ばれる天才戦略家/戦術家で、民主主義制を取る自由惑星同盟として、銀河帝国の軍事の天才ラインハルト・フォン・ローエングラムと宇宙規模で対立することになる。宇宙空間で宇宙艦隊や宇宙要塞での艦隊戦が繰り広げられるが、用兵学の基礎は地上のそれと同じものである。補給線の重要性や城攻め、銀河系には特に詳しい説明もなく交通の難所とされる廻廊と呼ばれる領域が存在し宇宙船が自由に行き来できないなどがそれである。そもそも宇宙空間での戦闘だというのに戦場は専ら平面に描写され、上下方向の広がりはほとんど意識されない。

    だがそれで良いのである。

    本作の面白さは科学的な考証ではなく華麗な戦術や荘厳な宇宙艦隊同士のぶつかり合い、至るところでめぐらされる権謀術数なのである。例えば作中にはゼッフル粒子という爆発性の粒子が登場し、これを空間に満たすことで銃火器が使用できなくなるために宇宙船内でトマホークを使った戦闘が繰り広げられることとなる。科学的な説明は一切なく*3、ただ白兵戦を描きたいがために導入されたと言える。このように存在しない技術は宇宙での戦いを(都合よく)可能にする道具として用いられている。ハードSFを期待して読むと全く異なるテイストに衝撃を受けるかもしれない。しかし宇宙を舞台とした架空戦記としては大変に面白く、本編が10巻に外伝が5巻の計15巻も苦もなく読めてしまう、いやむしろこれだけで終わってしまうのかという寂寥感すら覚える作品となっている。

    本作では自由惑星同盟の最悪の民主主義と銀河帝国の最高の専制政治の対立や戦争の意義などのテーマも扱っている。戦争での死者より次の選挙での得票率を考え不必要な出兵を命じられたヤン・ウェンリーがなぜ自らの軍事力と人気を用いてクーデターを起こさず、戦いに赴き勝利を収め、帝国側で死者や孤児や未亡人を量産したのか。その本人の苦悩や信念も描かれており、この面を切り取ればソフトSFと言えるかもしれない。

三体[劉慈欣](2006)

    最近話題のSF小説といえばこれ一択。オバマ大統領もインタビューで愛読していると答え、今年ようやく三体三部作の3つ目「三体Ⅲ 死神永生」が翻訳され本屋でもよく見かけた。私のお気に入りは「三体Ⅱ 黒暗森林」だ。大変おもしろいので未読の方は悪いことは言わないので今すぐ読むのをやめて本屋に駆け込んでほしい。読んでないのが羨ましい。

    一巻目の三体は中国の文化大革命から幕を開ける。人気のSF小説と聞いて手に取ると文化大革命の描写から始まり少々面食らった覚えがある。本作では文化大革命時の中国と現代の中国、そしてVRゲーム内での三体世界と3つの舞台を行ったり来たりしながら物語が進んでいく。

   何が面白いかといえば一巻目はやはりハードSFちっくな雰囲気から登場する智子(ソフォン)だろう。太陽の電波増幅機構など、ハードSFなのか……?と段々怪しくなってきたところで異星人が11次元から2次元に展開した陽子に回路を書き込んだスーパー“粒子”ソフォンが登場するのである。存在しない技術の極みだ。エエッー!!そんなのあり!?そういうSFだったんですか〜?となってももう遅い、既に劉慈欣ワールドに取り込まれていて続きを読まずにはいられなくなる。三体シリーズの面白さはこういったそれだけで短編小説がかけそうなアイデアがポンポン惜しみなく投入されている点にある。徹夜で全巻読んだ。

    さらに憎めないのが三体Ⅱに登場する黒暗森林理論は科学的にも興味深い点だ。この理論はフェルミパラドックスに対する筆者の解答であり、同時に三体Ⅱの核となる部分に当たる。ハードSFが好きなので、こういった要素は評価せざるを得ない。未読の方は今すぐ読んでほしい(2回目)。ちなみに三体Ⅲでは時間のスケールが10^n倍になっていきます。

    劉慈欣は今までの記述からもわかる通り、ハードSF作家ではない。短編集*4も読んだが、例えば異星からやってきた氷の芸術家が地球の海を凍らせて芸術作品を作る話や中国詩に感動した宇宙人が全ての漢字の組み合わせを実現し全ての漢詩を生み出す話など、荒唐無稽なアイデアをベースに大真面目に話が展開していく独特な作風が大変面白い。日本語でも短編集が出ているので、そちらを読んでみるのも面白いかもしれない。

 

   あんまり真面目にではないが、色々な存在しない技術のSF小説での扱われ方を見てきた。厳密に空想科学を扱うハードSF以外にも、都合よく舞台装置として存在しない技術を用いるスペースオペラ、或いは社会に問を投げかけるのに存在しない技術を用いるソフトSF、さらに荒唐無稽な存在しない技術をベースに物語を進めるものまで、様々なSF小説が存在する。堅苦しいものばかりではないので、尻込みせずに是非手にとって読んでみてほしい。布教のコーナーでした。

 

*1:フランケンシュタインは怪物を作り出した博士の名前であり、怪物に名前はない。

*2:どうでもいいけどIT技術って情報技術技術でちょっと気持ち悪いですね。

*3:どこかにあったら申し訳ない。計15巻をこのためだけに全てを読み通す気力は起きなかった。

*4:To Hold Up The Sky [LIU CIXIN]. 多分未邦訳。