美術館に行く 1

 

 全く知識のない状態から、美術館や展示に足を運んでみた経緯と感想。結論から言うと、なんにもわからなくても恥ずかしがらずに美術館に行ってみると面白いかもしれません。

 

美術・美術館について。

 子供の頃から美術館はあまり好きではなかった。親が好きでたまに連れて行かれていたのだけれど、子供の落書きのような絵や裸婦画を大人が黙ってさも「自分はわかっていますよ」 と言いたげな顔で眺めている空間は、幼い私には堪らなく退屈だった。立ちっぱなしで疲れるし。シンガポールアンディ・ウォーホール没後25年記念の企画展*1に連れて行かれてたときは、最初から最後まで意味がわからなかった。

 そのせいか年を重ねても美術に関心を抱くことはあまりなかった。手先が器用だったので美術の授業で絵を描いたりなにかを作ったりするのは好きだったが、美術は難解だし縁がないものだと思っていた。実際美術館に行ったあと人に美術館の話をした反応を見る限り、大抵の同年代の人は同じように美術館なんて縁がないし自分が行っても楽しめないだろうと思っているようだ。

 

 しかし同じ芸術でも音楽は好きだ。幼い頃からピアノをやっているし、それ以外にも色々な楽器に手を出している。自室はそもそも狭いこともあり面積の1/3を楽器が占めている。色々な音楽を聴くうちに、ものの良さを理解するにはある程度知識が必要だということがわかった。知識というのは教科書に乗っているような知識だけではなくて、音楽だったらその曲や似たジャンルの曲を聴き込むこと、料理なら様々な料理を食べること。逆に言えば、とにかく色々なものに触れてみることで今まで良さがわからなかったものの良さがわかるようになるということではないか。よくわからない音楽を聴き込んで良さを理解しようとしてきたように、色々なものを食べたら自分の好みがわかってきたように、色々な美術作品に触れてたら今までよくわからなかった美術の世界に少しでも踏み込んで、見える世界を広げられるのではないか。そういう考えから、全く美術がわからない状態でも嫌いだった美術館に行ってみようという思いを持っていた。それに、趣味が美術館巡りなんてかっこいいじゃないか。

経緯

 実際に美術館に行くことになったきっかけはたまたまテレビでやってた絵画を紹介する番組だった。

www.bs4.jp

 様々な「怖い絵」の実物を見ながらその絵の背景や注目ポイントを教えてくれるという回で、自ら殴り殺してしまった息子の亡骸を抱く「イワン雷帝とその息子」といったわかりやすく怖い絵から、一見綺麗だけれど言われてみると怖い「そして妖精たちは服を持って逃げた」など様々な絵が「怖い」というわかりやすい切り口で紹介されており、美術にほとんど親しみのない私でも楽しく見ることができた。その中でも特に印象に残ったのが「レディ・ジェーン・グレイの処刑」である。PAUL DELAROCHE - Ejecución de Lady Jane Grey (National Gallery de Londres, 1834).jpg

By Paul Delaroche, Public Domain, Link

 イングランド初の女王となったジェーン・グレイは、僅か9日で女王の座を追われ、投獄された後に改宗を拒み処刑される。*2*3レディ・ジェーン・グレイの処刑はまさにその処刑の瞬間を描いており、何より私が感銘を受けたのは肌の質感である。画像は Wikimedia Commons を埋め込んでおり、リンク先では4K解像度で眺めることができるのでよく見てみて欲しい。美術には殆ど興味が無かったが、16歳という若さで処刑されようとする少女の断頭台を手で探る様子や、暗い処刑場、嘆く侍女と白く輝くジェーン・グレイその人との対比が素晴らしいと思った。トマト缶やマリリン・モンローのカラバリ*4の良さはわからないけど、これなら自分でもわかる。

 そんな話をしていたら、高校時代の先輩が自分が挙げた絵の殆どを知っていて話が盛り上がり、二人で美術館に行くことになった。開催されてた企画展の候補から選んだのが渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムの企画展「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」であった。

訪れた美術館/展示

渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス(2021/9/18〜2021/11/23)

www.bunkamura.co.jp

 展示は印象派からエコール・ド・パリまで。チケットを渡しギャラリーに入ると目の前に展示の目玉の一つであるモネの睡蓮が飾られている。そこからルノワールピサロに代表される印象派からフォービズムやキュビズムなどに広がっていく。

 まるで元から知っているかのように書いているが、実際は美術の教科書で用語を見かけた程度である。そもそもこの企画展を選んだ理由が印象派の作曲家であるドビュッシーが好きだからであり、印象派の画家など一人も知らなかった。

 それでも、74枚ある絵画とその説明を3時間ぶっ通しで見続けるとわかってくることがある。例えばルノワールの「ムール貝採り」「レースの帽子の少女」に見られる複雑な色を巧みに組み合わせた繊細な色彩が素晴らしい。
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Girl in a Lace Hat - 1891 — Pierre-Auguste Renoir

この絵は企画展の広告にも使われているので電車や看板で目にした人も多いのではないだろうか。題名にもなっているレースの帽子は白を基調にし、オレンジやグレーなど様々な色を重ねつつも柔らかなニュアンスを漂わせ、肌も計算された色使いで陰影と質感を表現している。近づいてみてみると全く別の色なのに遠くから眺めるとそれぞれが調和して一つの表現となっているのはモザイクアートのようだ。

 もちろん面白い作品ばかりではない。まずモネの「睡蓮」からわからない。有名な絵画なので見たことはあるが、一体どこが素晴らしいのか。白い靄は水面に見えないし、全体的におどろおどろしい。しかも作品説明によると晩年のモネは30年連作として睡蓮を書き続けたらしい。何がそんなに彼を駆り立てたのか。200点ほどあるそうなので、おそらく教科書で見た睡蓮とは別の絵だろう。ルノワールだって「エッソワの風景、早朝」はよくわからない。木も空もボヤボヤしてるし、これといって心惹かれる部分もない。一緒に行った先輩とは目を合わせてわからないねと言い合っていた。PierreAugusteRenoir-1901-Landscape of Essyes Early Morning.png
By Pierre-Auguste Renoir - 『ポーラ美術館コレクション-モネからピカソ、シャガールへ』TBSテレビ、2016年、ISBN978-4-906908-16-5, Public Domain, Link

 ここで私がやっていて面白かった絵画の鑑賞方法を紹介しよう。それは絵の書かれた年代に注目することである。同じモネの作品でも「セーヌ川の支流からみたアルジャントゥイユ」(1840)や「花咲く堤、アルジャントゥイユ」(1877)は好きだ。「散歩」(1875)も悪くない。一方「睡蓮」が描かれたのは晩年、1899年からで、今回展示されているのは1907年の睡蓮である。睡蓮を書き初めて10年、私が良いと感じる絵画からまた一歩二歩進んだ表現を模索した結果なのだろう。ルノワールでも「レースの帽子の少女」(1891)や「ムール貝採り」(1888-1889)よりも「エッソワの風景、早朝」は1901年と10年進んだ作品である。

 展示では何らかの意図があり展示の順番を決めているが、時系列には沿ってない場合が多い。晩年に描かれる作品が有名になることが多いことが理由だろうが、鑑賞する際は有名無名気にせずに自分が気に入る作品を見つけるのが良いと思う。そうしていると、次に来たら今度は有名な作品が気に入るかもしれないし。

 さて、最初の15枚がモネとルノワールで、展覧会には74点の絵が飾られている。つまりこれで全体のたったの1/5である。74枚の作品を鑑賞するというのは想像以上に大変で、10時半に会場に入り出てきたのが13時半だった。再入場不可、椅子もないので体力勝負である。途中からは足が棒のようになりながらただひたすら絵を見る。実は東京都立美術館のゴッホ展にはしごするか迷っていたのだが、よほど体力がない限りそんなことはできないだろう。チケットを取らなくて良かった。

 

 初めて自分の意志で行った美術館だったが、とても楽しかった。全然わからない作品のほうが多いし、特にピカソゴーギャンなんてわからない作品しかなかったと言っても過言ではない。*5しかしわかったこともたくさんある。特に、制作された年を作品からピタリと言い当てることができたときには、自分の頭の中に今まで見てきた絵がたしかに知識として蓄えられているという実感があり大変嬉しかった。人生で初めて図録を買って、今はその図録を見ながら文章を書いている。残りの59枚についても色々書きたいことがあるけれど、この記事が途方もない長さになってしますので一旦切り上げ。気が向いたら別の記事に書くかも。

 

東京都渋谷公園通りギャラリー 語りの複数性(2021/10/9〜2021/12/26)

inclusion-art.jp

死に関する話題があるので、苦手な人は読み飛ばしてください。

 これはたまたま存在を知っていた展示で、渋谷へ楽器を見に行った際に近くにあったので寄ってみた。金髪の二人組が座り込んでタバコをふかしてる脇を抜けてアートに触れられる街、東京バンザイである。入場無料で、そこまで作品数は多くないので気軽に入ってみると良い。かくいう私も時間の都合でじっくり見ることができなかった作品があるので、また足を運ぶことになるだろう。余談だが、日本で一番大きいだけあって様々な芸術に気軽に触れられるのも東京という街の良いところで、気軽に東京アクセスできる土地に居た為に上京することに人は夢を抱きすぎではないかと思っていたが、最近はこういった環境を求めて上京してくるのも悪くないと考えるようになった。

 この展覧会は額縁に絵が飾られている典型的な展覧会ではなく、映像作品や音声作品、絵画もあればミニチュアも楽譜も写真もある。扱っているテーマはアウトサイダー・アート(アール・ブリュット)で*6、生、死、障害をテーマにしている作品が多い。お気に入りの作品は小島美羽の「終の棲家」と百瀬文の「聞こえない木下さんに聞いた、いくつかのこと」だ。

 故人が最期の時を過ごした部屋。一見明るい何気ない部屋に見えて隣に展示されていたゴミ屋敷との差異に首を傾げたが、作品の前をうろついて椅子の上の黒いシミに気づいたときは周りの空気が一気に重くなった。気づいてしまうとどうしてもそこに目が行ってしまう圧倒的な存在感を示す黒いシミは、そこで過ごした最期を否が応でも想像させる。

 小島美羽は特殊清掃業に携わりながらミニチュアで孤独死の実情を表現している。近頃は単身者が増え、テレビやSNS孤独死の話題を目にすることも増えた。長期間放置された遺体はしばしば「黒いシミ」と呼ばれる目も当てられない状態で発見され、鼻が取れるほどの独特の臭いで見つかるそうだ。特殊清掃では様々な技術・道具を駆使し、そういった現場の原状復帰をしている。小島さんが所属する遺品整理・特殊清掃クリーンサービスのツイッターアカウントでは実際に使用しているテクニックや出てきた遺品を紹介していて興味深い。

twitter.com

 「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」は作者の百瀬さんが研究者の木下知威さんと会話する様子を記録した映像作品で、会場では0分と30分に上映が始まる。木下さんはろう者で口唇の動きを読み取ることによって言葉を「聞き」取り、自分では聞き取ることができない声を発することで会話が行われる。木下さんの読唇術は大変素晴らしく、殆どの文章を聞き逃したり聞き間違えたりすることなく会話が進んでいく。その後百瀬さんがある試みを会話の中で行っていくのだが、パンフレットの作品紹介にもここから先は記載されてないので書かないことにする。欠けた情報を補完しつつ行われるコミュニケーションを通じて、普段私達が何不自由なくできていると考えがちな意思疎通の難しさと可能性をも示していると言える。

 ここで紹介した作品以外にも面白い作品が多くあるので、足を運んでみてほしい。行ってみて面白いものが一つでもあれば良いし、よくわからなかったらそれもそれで良いと思う。

 

アーツ千代田3331 サウンド&アート展(2021/11/6〜2021/11/21)

muse-creative-kyo.com

 もともと好きな音楽と美術との繋がりに興味があったので、行きたいとツイートしたところ藝大に通っている友人と訪れることになった。楽器の実物がおいてあり、実際に様々な楽器を演奏し体験できるブースもある。友達と遊びに行っても面白いだろう。

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バシェの音響彫刻。アンテナのような部分の後ろに弦が張ってあり、その振動が伝わることで音が出る仕組み。

 作品はわかりやすいものからわかりにくいものまで様々で、例えばオタマトーンで有名な明和電機のセーモンズⅡは肺に見立てた風船からの空気を声帯を模した機構に送り込み音を出す作品で、同じ機構で音を出しているからか聞いてみると人間の声に近くて面白い。

セーモンズⅡ | 明和電機 – Maywa Denki

 ホームページにある紹介の動画をみると雰囲気がわかるだろう。私のお気に入りはマーティン・リッチズのThinking Machineだ。

Thinking Machine *** Honourable Mention Prix Ars 2008 *** from Masahiro Miwa on Vimeo.

 動画の通り、複雑な機構で転がる球のルートを制御し音を鳴らす機械で、機構の状態と球の個数・入れる位置で一定の音楽を半永久的に奏でられるという点が好きだ。初期状態からアルゴリズムに基づいて音楽が展開されていく様子も、その機構自体も大変興味深い。

 アーツ千代田3331という場所自体も特殊で、廃校となった中学校を改修し芸術空間として利用している。企画展用のギャラリースペースの他にそれぞれの教室に色々な企業や集団のギャラリーや作業場があり企画展以外も面白い。音楽が好きな人はこちらもオススメ。秋葉原から徒歩で行ける。開催期間が短い(11/23まで)のに注意。

 

行ってみて。

 美術についての知識がほとんどなくても楽しめた。自分にはわからない、という思い込みを排除することさえできれば、色々な楽しみ方ができるはず。

 また今どきはインターネットが発達しているんだからウェブ上で画像で見れば良いじゃないかという思いもあったが、行ってみてその考えも変わった。例えば油絵の話をすると、油絵は絵の具の特性で絵筆の運びなどが立体となる。これを画像データにすると細かい曲線や色が失われるのはもちろん、Z軸方向の情報まで失われてしまうわけである。そこまで高さはないが、次元が一つ下がっているというのは大きな情報の喪失だ。図録も買ったが、やはり実物の絵には叶わないと思う。

 体験としての美術館という面もある。普通に生活してて、黙って、スマホを見ずに、3時間ひたすら絵と向き合う時間を取ることはまずないだろう。映画館で映画を見るのと似ていて、美術館側がセットした最高の環境で本物の絵画を鑑賞するという体験は、現地に足を運ぶ理由になると思う。

 美術館は安い。学生なら高くて1500円で世界最高の絵画を思う存分見れるのだから驚きだ。今度の休日、もしくは学校にいった帰りでも、思い切って美術館に行ってみるのはどうだろうか。もしかすると、自分の人生に彩りを添える新たな趣味を見つけられるかもしれない。

*1:

Andy Warhol: 15 Minutes Eternal Exhibition at ArtScience Museum | SENATUS

時期的にもおそらくこれ。当時は小学4年生。

*2:参考 https://www.sankei.com/article/20171005-JEXZSBWSDRL5DKL6OI2J3WB6LM/

*3:このときレディ・ジェーン・グレイを処刑させたのはメアリー1世Bloody Mary なのだそうだ。Bloody Mary は言ってみれば「海外版のトイレの花子さん」として、小学校での怪談として有名(Bloody Mary (folklore) - Wikipedia に詳しい。)なので知っていた。父は離婚を繰り返しついにはカトリックから離れイギリス国教会を創立したヘンリー8世。日常生活とも歴史とも繋がりがある、新しい物事を知ることは有機的な繋がりを広げることでもあり、楽しい。

*4:アンディ・ウォーホルの代表作「キャンベルスープ缶」「狙撃されたマリリン」。題名を調べるついでに記事を読んでみると、作品の意図がちょっとわかってしまって悔しい。

*5:唯一、ピカソの「母子像」はピカソらしくない“普通の”絵で良かった。

*6:展示会のアンケートに「アウトサイダー・アートに興味がありましたか?」といったような項目があったので、おそらくそうであろう。もちろんそんなものは全く知らなかった。